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明治45年3月京都生まれ。 祖父の代に始まる三代目の棟梁。父・貞吉も数奇屋大工であった。 15歳で裏千家家出入り方・岡田永斉氏に弟子入り。 兄弟弟子に中村為斉氏がいて親しく交わり、ともに立派な職人になりたいと志したという。 昭和10年以わり、ともに立降、北海道、四国、九州と旅仕事が多かった。 昭和31年独立後はじめて数奇屋建築に取り組み、以来数々の土間席や茶室を手掛けてきた。 昭和50年に京都・詩仙堂向かいの上田勘一朗氏を紹介され、その移築工事、新築工事に携わる。 平成元年(1989年)、奈良市にある律宗唐招提寺派の寺院。別名は唐招提寺奥之院。 西方院茶堂六末庵(伊藤博文公 茶室)移築工事を、数奇屋匠・瀧本匡志、大工頭・吉村忠男、 大工 吉村忠幸 三世代で取り組む。 平成2年(1990年)10月落慶。 平成6年1月死去、81歳 |
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昭和19年5月京都生まれ。 父も大工であり、兄弟で大工職人になる。 18歳で大工を初め、24歳の時に瀧本匡志の次女と結婚。長男・長女を授かる。 瀧本匡志に数奇屋の技術を学び、共に数奇屋建築、修復・移築工事に携わる。 昭和50年、新築・リフォーム業を開始。 共に、数奇屋の技術を活かした和風建築・現代建築を精力的に行う。 平成10年(1998年)、(有)吉村工務店を設立。代表取締役 吉村忠男。 平成17年(2005年)、(有)吉村工務店、会長 吉村忠男就任。 現在も現役の大工職人。長男・忠幸に伝統技術を継承中。 |
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昭和44年11月京都生まれ。 数奇屋匠・瀧本匡志を祖父に、大工・吉村忠男を父にもつ五代目、大工職人である。 京都建築専門学校を卒業後、大手建設会社等で修行する。 平成元年(1989年)奈良市にある律宗唐招提寺派の寺院。別名は唐招提寺奥之院。 西方院茶堂六末庵(伊藤博文公 茶室)移築工事を、三世代で取り組む。 平成 6年(1994年)瀧本匡志の死去、他の職種に就き色々な事を経験し自分の道を探す。 平成12年(2000年)を期に、大工職人になる事を改めて決意し精進して取り組む。 平成15年(2003年)京都迎賓館(回廊)建設工事に大工職人として参加。 平成16年(2004年)数奇屋の技術(網代等)を現代和風建築に活かした家作りを行う。 平成17年(2005年)8月、(有)吉村工務店、代表取締役 吉村忠幸就任。 平成17年(2005年)12月25日 KBS京都ラジオ「本田隆朗の京都のあったか円かじり」 平成18年(2006年)1月1日 京の匠に2回にわたり出演。 平成18年(2006年)1月「生き方探求・チャレンジ体験」で中学生の体験活動に取り組む。 平成20年(2008年)(有)吉村工務店兼自邸をリニューアルオープン 設計 浅見俊幸建築設計室 構造計算 京都工芸繊維大学 |
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